蒸気機関車を撮り始めて
戻る

三原と海田市を結ぶ87.0kmの路線です。
かつては軍港として知られ,呉線も広島を結ぶための軍用路線として,明治36年に開通しました。
三原まで全線開通は昭和10年です。
呉の軍港に物資を輸送するため本線用の大型機の入線が可能でC59やC62が普通に走っていました。
叔母の家が向洋にあり夏休みになると「安芸」に乗せられ、広島駅に出迎えてもらっていました。
たしか知り合いに当時「安芸」の専務車掌で乗務している人がいて夕食など食堂車で食べた記憶があります。
中学生になって本州最後の大型SL牽引急行と知りました。(C62やC59は田舎の普通の汽車と認識していました)
中3の夏に友人の小林君と撮影行に出掛けました。
あまりの迫力にまともな写真は取れませんでした。(急行「安芸」は早すぎて)
呉線から         
呉線のネガはこれしか出てきません。
糸崎の機関区訪問の写真が有るはずですが?

呉線は普通列車でも編成は長く当時はDC急行も多く走っていました。
全てが今まで撮影行で訪れた線区とは違っていました。
何時も大きく見えるD51が小さく感じ、次から次からやってくる通勤列車に唖然とした記憶は残っていますが、ネガにはこれしか写っていません。

「音戸2号」で大阪に向かったはずです。
万博に向かう旅行客で満員でした。これがSL牽引急行乗車の最後となりました。

C59の大きさと迫力が印象に残っています。
通過待ちの途中駅で轟音とともに通過していった「安芸」の速度が
すごかったんです。
不思議なことにC62はたしかに大きいんですが迫力がないんです。
力一杯のC59と余裕のC62という感じかな?
   好き嫌いもあるけど
TOP
TOP
TOP